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映画 聲の形 の感想 前編:全てにピントが合った時の衝撃に言葉が出なかった

 映画『聲の形』の4回目を見てきました。1回ではとても受け止めきれなくて、すぐに2回目を鑑賞・・・ものすごい濃密な情報量に押し流されるような129分は、完全に自分のキャパシティを超えていたようです。

 2回程度では自分がどうして涙を流しているのかもよく分からなくって、感想を書こうにも何だかピント外れの言葉しか思い浮かびません。
映画『聲の形』ロングPV/主題歌PVより画像引用
当ブログの画像引用について
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 でももっと知りたい、理解したい!という気持ちは抑えられず3度目の鑑賞。とうとう『あ、なんか見えてきた・・・!』と思ったら、今度は涙が止まらなくなって頭が真っ白に・・・あまりの衝撃で逆に感想どころではなくなってしまう始末でした。(体力の消耗も激しくて軽く寝込んでしまった・・・)

 正直言うと、最初に見た時はここまで心を動かされるとは思わなかったんですよね。4度目を見た今は『本当に素晴らしい作品』だと心から思いますが、これをを1回で理解できる人は凄いと思います。

 最初は抑えめの演出だなぁ・・・なんて思ってたけど、そういう事じゃないんだよね。自分の限られた感受性では捉えきれなかっただけで。

映画『聲の形』 ロングPV(KyoaniChannel)

 『良かった』とか『感動』とか、ましてや『面白い』とか・・・そういう言葉では全然表現できなくて、徹底的に作り込まれた、あえて言えば山田尚子監督はじめ制作者の皆さんの、この作品に対する『熱量』を強く強く感じる本当にすごい作品でした。
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【おおまかな目次】

※途中からネタバレありのレビュー考察となりますのでご了承ください。
※今回はちょっと長い感想なので前・後半に分けています。

この作品のテーマは何だったのか・・・


 この作品のテーマは何か・・・って多くの方が色々な解釈をしてますよね。恋愛の話じゃないとか、障害の話じゃないとか、いじめ問題についてとか・・・いろんな意見があって、ある意味つかみどころがない。
手話で将也に懸命に伝えようとする硝子。
いじめ、障害、恋愛・・・いろんなテーマが混ざって見えるけど
一つに焦点を当てるとこの作品全体の色がわからなくなる
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 でも、何かに焦点を当てようとすると・・・他がぼやけちゃうと言うか・・・なんか違うような気がするんですよね

 唐突な例えですけど、太陽の光をプリズムで分光すると『虹色』に分かれるように、この作品はいろんな色のテーマが混ざりあって一つの作品になっているように見えます。

 だから、一つのテーマに焦点を当てて語ろうとすると『なんか違う感じ』がして、なかなか感想がまとまりませんでした。

複数の焦点から全体にピントが合ったとき・・・


 見る人の焦点の当て方によって変わるなんて『どの作品でも大抵そうでしょ?』と言われそうですね。でもこの作品はそれぞれのテーマがすごく重くて緻密なので、見る人のバックグラウンドを引き出してしまう力がすごく強いんだと思います。

 もちろん、それぞれの焦点で見るのも悪くないんですけどね。自分も1、2回目はどうしても自分のバックグラウンド(自分の場合はイジメ関係)をベースに作品を見ていたし、それもすごく濃い体験でした。
初見では自分の持つ過去にどうしても囚われてしまった
よく考えたらイジメを助長している教師の態度に一番引っかかったのかも
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 でも何度も見ていると、だんだん自分が固執していたテーマから解放されて『全体を俯瞰』して見る事ができたとき『新しい景色』というか・・・ラストの将也じゃないですけど・・・霧が晴れるように全体にピントが合ったような体験をする事ができたんです。

 それをうまく言葉で表現できないのですが・・・(だからアニメで表現してるんでしょ!って山田監督に言われそうですが)そんな凄みのある感覚に圧倒されて、どうしようもなくこの作品が好きになりました。

あえて原作を読む前に感想を記したかった


 『原作を読みたくなる劇場版は良い映画』と自分で勝手に定義しているのですが、この作品も原作コミックをすっごく読みたくなる作品でした。

 でも実は1巻以外はまだ読んでません。(1巻はキンドルで期間限定で読めたので我慢できずに読んだけど・・・)


 原作漫画は高い評価だけあって、本当に力が強そうで『読むと絶対そちらに感想が引っ張られる』と思ったのもあるけど、山田監督の表現したかった事と分けて理解したかったんですよね。

 全7巻のコミックを130分にまとめあげるには単に『シーンのカット』でなく作品全体の再解釈が必要なはずで、山田監督や吉田玲子さんはそこに相当努力したと思うんです。だから映画は山田監督の視点で再構成された作品として『独立して理解』したかった。

 だから原作ファンの人からみたら『ちょっと違うぞ!』と言われるかもしれないけど、これは映画『聲の形』の感想として読んでもらえればと思います。

共鳴し合う心の波長


 唐突ですけど、共振振り子って知ってますか?連結した振り子を揺らすと、同じ波長を持った振り子同士が互いに共振して動き出すという理科の実験です。


振り子の共振(adokohiro)
一つの振り子を動かすと同じ波長を持つ振り子も動き出す

 この作品を見て、将也と硝子という偶然同じ呼び名を持つ二人が、まるで同じ波長の振り子のように共振し、互いに力を与え合っているように感じたんです。

 性格も性別も生い立ちも違う二人が出会うことで、図らずも互いの運命を大きく動かしてしまう。目に見えない心の波長によって良くも悪くも共振してしまう二人。
ろう者である硝子の存在は多くの人に波紋を広げたが
将也の運命はまるで硝子と共振するように大きく変化する
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 そして彼らと繋がっている人々も、大小あれど二人の波動に影響を受けて動き出す人々の運命が共鳴しあう物語。自分にはそんな風にこの作品が見えました。

※次章からネタバレになるのでご了承ください。

花火で繋がる二人の運命


 冒頭、将也が橋から飛び降りようとするイメージシーンがありましたよね。河原での花火がパン!と鳴るのと同時に目がさめる将也。これが硝子が飛び降りる花火のシーンと『対』になった伏線になっていたんですね。
花火は将也と硝子の運命をつなぐ伏線になっていた
本作は将也と硝子の運命が対になるように描かれる
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 自殺へのカウントダウンをしていた将也に、生きるきっかけを作ったのが硝子との再会。小学生時代、硝子との出会いによって彼の運命は確かに変わってしまったけれど、再会によって再び変化がはじまったんですよね。

 それに対して、硝子もまた再会によって大きく変化していく。一見小学生時代の苦難をのり超えたように見える彼女。

 将也との再会は硝子に良い事もたくさんもたらしたけれど、それと同時に、かつての彼女が持っていた『生きる事に対する罪悪感』を蘇らせてしまったんだと思うんです。
二人の出会いは互いに喜びももたらしたけれど
硝子の中で隠れていた心の問題も同時に思い出させてしまう。
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 将也が『生きていて良いのかもしれない』と思い始めるのとは逆に、硝子は『生きてちゃいけない人間』だと思いつめていくって皮肉ですよね・・・。

 互いに後を追う振り子のような運命が切ないんだけど、表面的な平穏ではなく本当の自分と向き合うには『痛みと幸せ』の両方が必要で、二人は『再会』を無意識に求め合っていたのかもしれません。

 そして二人の再会は、彼らと繋がっている他の人たちの運命も揺れ動かして波紋のように変化が広がっていく・・・

 この全体の構成が見えた時、イジメとか恋愛とか・・・そういう個別のテーマじゃなくて・・・もう、なんかすべてをひっくるめて『人のつながりが連鎖していく』感じにものすごく痺れました。

硝子の飛び降りもまた『感謝と謝罪』なのか


 硝子が飛び降りを決心したのはいつだったのか・・・はっきりは分からないけど、花火大会の日を決行日に決めてからの彼女は、きっと冒頭の将也のようにある意味淡々とカウントダウンを過ごしていたんだろうなと思います。

 目一杯楽しい思い出を作って迎えた花火大会。花火の音を感じる彼女は憑き物が落ちたかのような清々とした表情に見えました。

 この時の彼女には後悔する気持ちなんて全然なくて、本当にみんなのために自分が消えればいいと思っていたのかもしれない。将也がそうだったように。
飛び降りを決心しているとは思えない心地よさそうな表情
自分の選択がみんなのためだと確信していたのか
祖母の葬儀で死へのハードルが下がったのか・・・
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 そして、将也がお母さんにお金を返して感謝と謝罪を示したように、将也に対して感謝と謝罪の気持ちを表したのが、あの別れの挨拶なのかな・・・将也が『またね』と手話で話したのに対して『ありがとう』と手話で(で、いいんですよね?)返した硝子。

 あの時の表情はなんとも言えなくて・・・3回4回と見るたび思いが増して感じます。(そしてこの辺りから涙腺が崩壊してきます・・・)

 二人の再会は互いを大きく変えていく力になったけど、その方向は揃わなくって・・・硝子の想いも将也には伝わらず、ボタンを掛け違うように硝子の自殺へのカウントダウンが進んでしまう。

『ちなみに西宮、俺はさぁ・・・』


 そしてこのセリフです・・・本当にこのセリフ最高で、大好きで・・・本作の数ある名台詞の中でも一番好きなセリフかな。

 3度目にこのセリフを聞いた時、あっ・・・って色んなものがバパパッと繋がるような衝撃で、涙が溢れすぎてスクリーンが見えなくなりました。
ここに至るまでの木琴の劇伴も素晴らしい効果でした。
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 結絃に言われたキツい言葉・・・同情?自分の贖罪?いい気持ちになってるだけ?それらが100%絶対ないと言い切れるのか?って事は、将也自身もわからないんだと思います。

 自分のような人間が『マトモな人間』みたいな幸せを求めて良いはずがない・・・そういう意識が彼の感情を強く抑え込んでいたはず。

 でも硝子に対する『彼女自身を好きになってほしい』という気持ちは間違いなく本当で、きっと彼女のことを一番大切に考えていて、そのためなら、彼女が助かるなら、自分の命と引き換えにすることなんて一瞬たりとも躊躇しなかった将也

 その彼が無我夢中で助けようと頭が真っ白になった時によぎった言葉・・・
『そういえば西宮に俺の事どう思っているのか聞いてなかったな・・・ちなみに西宮・・・俺はさぁ・・・』※映画『聲の形』より

 あろう事が、こんなほのぼのとした言葉・・・でもそこに、無意識だからこそ彼がこれまで理性で抑えていた硝子に対する感情が溢れだしてきたんですよね。

『好き』では言い表せない告白の言葉


 『俺はさ・・・』の後に何が続くかはわかりません・・・当然恋愛の感情は入っていたと思うけど、将也には単に『好き』では言い表せない感情があったんだと思う。

 そういう気持ちが、その後の『君に、生きるのを、手伝ってほしい』という言葉に結実したんだと思いました。
将也の願いに『約束』と手話で答える硝子
どんな言葉よりも二人にふさわしい告白だったと思う
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 本当にいろんなものが込められたこれらのセリフ・・・初見で理解するのは不可能で、2回目でもちゃんと捉えられていませんでした。

 3回目で猛烈な感動をしてしまって・・・でも目が開けていられなかったので、4回目でようやく硝子が引き上げられて助かってる姿を確認出来ました(笑)

 しっかし入野自由さんの演技、最高ですよね。『言の葉の庭』でもすごいと思ったけど、男性声優さんの声でここまで胸がギュッとなるのは初めてかも。

将也の閉じた感情と植野の真意


 将也の硝子に対する恋愛感情が無意識に抑え込まれていたとすると、『好き』を『』と誤解したシーンも、決して将也が鈍感だったわけじゃなくて・・・きっと本当に理解できなかったんだと思うんですよね。
プレゼントの意味不明さもあるとはいえ硝子の真意が伝わらない
一見コミカルなシーンだけど将也の閉じた心を表している
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会 

 本作で一番幸せを感じるシーンが、硝子がポニーテールにしてから将也に告白するまでの一連のシーンで、ここ本当に、本当に大好きなんですけどね。硝子が明らかに植野に対抗心を燃やしてるじゃないですか!

 植野と将也の再会を偶然見かけた硝子のおどろいた表情。植野にからかわれた後、将也が気まずい表情で『なんでもないよ』とごまかす様子。硝子の嫉妬とも疎外感とも言える気持ちが彼女を告白に急き立てたんだと思うんです。
露悪的すぎる植野の言動
『ダサくなった〜』に込められた植野の真意を
硝子は雰囲気から感じ取ったのかもしれない
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 告白シーンで硝子が手話を使わず、声でコミュニケーションする事にこだわっていたのも、植野と同じように将也と関わりたいと思ったからなのかな?それとも、将也が自分に歩み寄って手話を覚えてくれたように、自分も声で歩み寄ろうと思ったからだろうか・・・?

 いずれにせよ、植野との再会が硝子に一歩踏み出す力になったのは確かだと思うんですよね。

『声』にこだわった硝子の告白


 それだけに、硝子の頑張りが空振りになってしまうのが本当に切なくって・・・ただでさえ緊張してるから、早口でまくし立ててしまって・・・『声、へん?』の言葉に『うん』言ってしまう将也・・・おぉぃぃ!

 打ちのめされたような硝子の表情がね・・・もう最高に可愛いけど、最高に切なくてね・・・

 なのに・・・そこからめげずに自転車止めて告白する硝子・・・絞り出すように『スキ』って言ったのに、声が小さくて聞こえなくてさらに大声で・・・本当に健気すぎます
声で伝えることにこだわった硝子
めげずに伝わるように大声で告白したのに・・・
この一連の表情と動きはとにかく素晴らしいの一言
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 はっきり発音しようとしすぎるあまり、逆に『』っぽくなってしまって、将也が『月?』って聞き返した時の、ああ、もうダメだ・・・とあきらめて『ウンウン』と頷く硝子が切ない・・・。

 髪型の変化だけじゃなくて、言葉の変化も気づけよ!って感じなんだけど、やっぱり感情を抑え込んでしまっている将也にとって思いもつかない事だったんだろうか。

 このシーンは予告で何度も見たけど、本編で繰り返し見ると本当に味わい深くて、ある意味失恋シーンなんだけど、なんだかとっても幸せな気分になれるシーンなんですよね。

 これはきっと硝子が植野に対抗心持てるくらい自尊心を回復しているってことが感じられるからかな?うまくいかないけどラブストーリーしてる感じが、重い作品のなかでホッとさせる一瞬なんですよね。 

 でももしここで意味が通じたらどうなっていたんだろう・・・将也は硝子と対等に付き合う覚悟ができただろうか。硝子はこの後のゴタゴタでも自尊心を保てただろうか・・・なにが幸せなのかってわからないですよね。

硝子は寛容な天使なのか?


 ところで、壮絶なイジメを受けた硝子が加害者に対して寛容すぎでは?という意見も聞きますよね。『障害者を美化しすぎ』みたいな。

 たしかに自分も最初、イジメ視点からこの作品を見ていた時は『そんなに簡単に人を許せるものかな?』って感じました。
『小学生時代』と『花火のシーン』の二つを連想させるこの場面
硝子がノートに執着をみせたのはなぜだろう
いじめの象徴のような嫌な思い出のはずなのに
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 でもなんども見るうちに、少し違った感想を持つようになったんですよね。硝子って極度に自己評価が低いじゃないですか。高校生になってイジメを克服したように見えても本心では『自分が嫌い』と言っている。

 硝子にとっての人生は、『自分の存在が周りの調和を崩している』『常に周りに助けられている』『みんなの足を引っ張る存在・・・』などと、自分をネガティブに認識せざるをえない状況だったと思うんです。

 そんな彼女が自己評価を高く保つなんてムリな話だと思うんですよね。常に悪いのは自分・・・みたいな考え。だから、本来イジメ加害者へ向けられるべき『怒りの矛先』を自分自身へに向けてしまったんだと思います。

『寛容』ではなく『自責』


 他者への怒りというのは、自分自身を大切に思っているからこそ生じる感情だと思うんですよね。そうじゃない人は逆に自分を責めてしまう。

 だから硝子は常に『ごめんなさい』と言い続けていて、それは口先だけの方便ではなくて本当の気持ちだったと思うのです。だから硝子は『寛容』とか『天使』とかじゃ決してなくて、良くも悪くもリアリティのある性格じゃないかな?と感じるようになりました。
この時、目に溜めた涙は何を意味していたのか・・・
「ごめんなさい」を言い続けた彼女に寛容という表現は適さない
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 そう考えると、最初に将也と再会した時だって、怒りや憎しみもゼロではないにせよ、手話を使って自分に歩み寄ってくれた驚きの方が勝ってしまったんじゃないかな・・・って思うんです。

そんな硝子に対する植野のいらだち


 植野に観覧車で責められてた時だって、硝子はその悔しさをやっぱり内に向けてしまいましたよね。植野はそういう『私が全部悪いんでしょ』的なところがナルシズムにみえて本当に我慢ならなかったんだと思う。

 確かに苛立つ植野の気持ちもわかる・・・でも、個人的には硝子を責める気にならないっていうか、自分はむしろ硝子にシンパシーを感じてしまうんですよね。

 内に向けてしまう硝子や、耐えきれず逃げてしまう佐原の感覚も理解できちゃうんですよね・・・植野みたいな性格って羨ましいと同時に怖いんですよね。植野って自分が意図しなくても自然といじめっ子の側に立ってしまう。
ストレートで苛立ちを隠せいない性格により
自分が意図せずいじめっ子になってしまう植野
そんな彼女もそれが良いとは思っていない
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 植野自身もそんな自分がよくない事はわかってるみたいで、何とかしようとするんだけど上手くいかない感じが伝わってきますよね。どのキャラクターも誰が正しくて誰がダメって言えない・・・弱さやダメさも含めて魅力的に描かれているなぁって思いました。

硝子にとっての告白の意味


 硝子に話を戻すと、今まで助けられることはあっても、他人の支えになれる実感がなかった硝子にとって、将也の『生きるのを手伝ってほしい』という言葉は、単に『好き』と言われるよりずっと生きる意味を見いだせる言葉だったと思うんですよね。
硝子にとって将也の告白は受動的なものでなく
彼女が支えてあげるという約束であり生きる実感だった
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 誰かを支えている実感に乏しくて、あまつさえ関わる人を不幸にしてしまう・・・(しかも告白しても伝わらない)そんな心の闇に再び覆われてしまった硝子。

 でも、将也の自殺を思いとどまらせたのは硝子との出会いがあったからで、本当はとっくに彼女は将也を支える存在になってたんですよね。伝わってないだけで・・・。

 硝子が彼の人間関係の修復に奔走し、初めて『支えてあげる人』ができた。その経験が彼女の弱さを克服する一歩になったと思うんです。

 ここに来てとうとう、互いの気持ちがちゃんと伝わって、二人の運命の方向が揃ったんだ・・・と思うと感慨深いものがありました。

長い長い贖罪が終わった時


 ラストの学園祭。顔を上げられない将也の手を引いて歩く硝子。その自信に満ちた顔は、支えてあげる人ができた喜びの表情に見えました。

 将也と硝子という似た名前の二人が、最初はひどい別れだったけど、見えない力で再び出会い、変化して支えあっていく・・・。

 運命と言っちゃうと軽くなっちゃうかもしれないけど、ラストの将也の涙は本当の意味で彼が『生きてて良い』と自分自身を認められた日。
まるで彼の再生を祝うかのような祝祭シーン
見る回数が増えるほどこのシーンの感動は深くなった
©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

 長い長い贖罪が終わった・・・嬉しいというか感謝というか・・・言葉にならない涙。それは『硝子への贖罪』という以上に、許せなかった『自分への贖罪』だったのかな。

 見てる自分も、それまでの全てが一点に集まるような不思議な感覚でドッと涙が溢れて止まりませんでした
【続き:後編はこちら】 ストーリー以外の音楽や演技のすごさについて書きました。- 『映画 聲の形 の感想 後編:深く根ざした音楽と、ろう者を声優が演じる事について 』
※1部と2部を合わせて前編、3部を後編としました(2016/11/6)

公式サイト http://koenokatachi-movie.com
監督:山田尚子
脚本:吉田玲子
キャラクターデザイン・総作画監督:西屋太志
美術監督:篠原睦雄/色彩設計:石田奈央美
音楽:牛尾憲輔

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