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ラブライブ!批判への回答:批判派の負のエネルギーを消し去りたい!

 私の『ラブライブ!』感想の総括である『ラブライブ!は私達に何をもたらしたのか?』という投稿に対して批判をいただきました。
アニメ『ラブライブ!』はみんなから何を奪ったのか① - はてな匿名ダイアリー
アニメ『ラブライブ!』はみんなから何を奪ったのか② - はてな匿名ダイアリー

 匿名ブログへの投稿でしたが、投稿者は劇場版ラブライブ!批判派の代表格である『おりあそ』氏に対して『TVアニメ1期を評価しているようではまだ甘い』とアニメ版の全面否定論を展開した人物です。

 言うまでもなく私は、彼らと正反対の劇場版絶賛派。当然TV版1期も高い評価をしています。アニメ版全面否定の匿名ブログに私が下記のコメントを付けました。それをきっかけにこのブログを読んでくれたようです。
劇場版ラブライブ!批判考察①
確かにすごい考察ではあるが・・・楽しめなくて可哀想としか。辻褄や現実にこだわる理由がわからない。私の感想『『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか?』http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html
2016/03/20 01:38
※おりあそ氏に対する記事へ上記のコメントを付けたのがきっかけ
※ツイッターでも上記のようにコメントしました。

 彼と私は立場は正反対ですがその内容は決して罵倒ではなく、私のブログを読み込んだ上での批判でしたので感謝しかありません。しかも彼の文章は批判派を分析するにあたり非常に興味深い内容になっています。

 ここで反論を兼ねて『どうして批判派はこれほど批判を続けるのか?』を考察したいと思います。(でもそれ以上にラブライブ!の素晴らしさを語れるのが楽しいのですが)

©2015プロジェクトラブライブ!ムービー

 ※自分は劇場版絶賛派ですがもちろんファンの代表って訳ではないですからね。ライブにも行ってないし、声優さんのファンという訳でもないのでラブライバーとはいえませんね。アイドル自体にもハマった事がないし。詳しく知りたい方は別記事を読んでください。

 なお、慣例に従い『はてな匿名ダイアリー』の投稿者を以下『増田』氏と呼びます。(anonymous diaryの略)

増田はなぜ怒っているのか


 いきなり話の腰を折るような事を書くのは恐縮なのですが、批判派の意見については本当に『楽しめなくてかわいそう』くらいの気持ちしかないんですよ。批判に対しても別段『怒り』みたいのはないんですよね。所詮好みの問題じゃないですか。

 でも増田を含めて、一部の批判派が熱心に批判を続ける事に対しては不思議に思っていました。絶賛派が感動を口にするのはわかるけど、批判派のその熱量はどこから来るのだろう?と。

 普通つまらない作品については『つまらん』『わからん』の一言で終わってしまい、その作品にいつまでも言及し続ける事はないですよね。そこに原因のがあるような気がします。

 正直いって増田の意見と私の意見は交わる事がない平行線です。しかし増田は呪詛のように『失敗作だ』と唱え続ける事で感動した人たちの気持ちを削り未見の人に予断を植え付けています。

 その恨み、呪いの負のエネルギーは一体どこから来るのでしょうか?

それは自分が見たかった『ラブライブ!』ではない怒り


 怒らないで欲しいのですが・・・つまりはこういう事でしょう?

 増田にとっては『あるべきラブライブ!像』があり、アニメ版はそのラインから外れている事が怒りの源泉なのです。自分の大切にしている作品が汚された恨み。それが絶賛派に対する呪いとなって噴出しているのです。

 これはよくある、原作漫画と映画化の軋轢であってなにも珍しい事ではありません。違うのはラブライブ!が元々メディアミックス作品である事。

 初期作品群を原作と捉えた増田はアニメ化による原作改変に怒りを抑えられないという事なんですね。

増田は『ラブライブ!』を愛している


 増田がここまで熱心に批判するのは、ラブライブ!への『愛』があっての事。彼の文章は負のエネルギーに満ちているものの、絶賛派に劣らない位のラブライブ!愛を感じられます。

 彼にとってラブライブ!はTVアニメ化以前の『初期プロジェクト作品群』こそ本物であると信じて疑わないんですね。この増田の立場を便宜上次のように呼ばせてもらいます。

増田=初期(初期作品群こそ正統なラブライブ!派)

 初期派は『初期プロジェクト作品群』を原作とみなす立場。アニメ化によって原作は改変され本来の素晴らしさが消えたと主張します。その戦犯は京極監督や構成の花田十輝氏

 戦犯である彼らによって、素晴らしい作品となるはずだった『ラブライブ!』が改悪されたと考えているのです。数々の批判はそこに根ざしているように見えます。

増田にとってアニメ版は『歴史の改ざん』


 初期派にとって初期作品群こそが本来のラブライブ!。アニメ版は改悪行為と信じて疑わない。そんな彼らにとってアニメ版が絶賛される事は、初期作品群を亡き者にするような歴史の改ざん行為であって絶対に許す事はできないのでしょう。

 なぜなら彼らの大事にしている初期作品群を否定されるように感じるから。アニメ版が絶賛されるほど自らが否定されれているような気持ちになるのでしょう。

 その『義憤』にかられて本来のラブライブ!という作品を『取り戻す』活動に身を投じる増田。彼にとってアニメ版を否定する事=歴史を正す事なのでしょう。その切実な想いが根底にあるのです。

 しかし・・・それはすべて妄想ではありませんか?

増田は目を覚ましポジティブに語るべき


 絶賛派の大多数は初期作品群を否定していません。もちろんキャラデがどうこういう話はありますが、そもそも多くの人はTV版から入っているのです。

 熱心な初期からのファンがいる事は知っています。でも私も含めてTV版から見た人間は京極/花田作品としてのラブライブ!を楽しんでいるのです。メディアミックス作品である以上バリエーションが生じるのは前提ですよね。

 コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空のアイドルがアニメに出演している、そういうものですよね?

 作品ごとに優劣などつけていません。絶賛派が初期作品を熱心に叩いていますか?多くのひとは関心すらあまりないかもしれません。

『アニメ以前の作品像やキャラクター像には最低限の興味や配慮を払うことすら稀な人が殆どである。』

 上記のように無関心すら増田には気に入らない。だったらアニメ版を叩くだけの負のエネルギーを注ぐのでなく、自分の好きな初期作品の素晴らしさをポジティブに語るべきでしょう

 自分の好きな作品を褒めるために他の作品を叩く行為は忌み嫌われることを増田もご存知のはず。増田が良いと思うものをポジティブに語る事で初期作品への注目も上がるのではないですか?

 アニメ版を叩き貶める事で初期作品が注目されるのでしょうか?むしろその行為はラブライブ!作品群の全体を貶める行為となっている事実に気づいてほしいのです。

増田の批判はナンセンスな議論


 総論は以上なのですが各論に言及しないと増田に逃げていると言われそうですね。でも増田の言う事は別に間違ってないですし、筋も通ってるんじゃないですか?ただ、それは増田の価値観の問題なのです。

 増田は『“最低限”の辻褄や現実性』がないと主張しますが、これは本当にナンセンスな主張です。本作(特に劇場版)に見いだすテーマが全く違うのです。

 あえて単純化して例えれば、ピカソのキュビズムの絵画に対して『もう少し現実に合わせてもいいんじゃないか』と主張するくらいナンセンスな議論なのです。

 本作は『青春とアイドル』をあの前衛的な手法で表現したところに価値があるんですよ。もちろん行き過ぎると脱落する人もいるからギリギリの所で突き詰めたあのさじ加減が秀逸なんです。それが成功しているからこそ多くの人の感動を誘っているのです。

 私を含め多くの絶賛派にとって“最低限”の辻褄』はあっているのです。しかし、増田には『“最低限”の辻褄』がないと思う。増田を否定はしませんよ・・・でもそれだけの事です。

物語性に囚われる増田


 増田の観たかったものは、キャラクターの内面をリアルに掘り下げたドラマ。誤解を恐れずに言えば、スクールアイドル版のアイマスじゃないのでしょうか?

 初期派である増田はこれまでの流れからそのような作品を期待していたのでしょう。だからアニメ版を『あんな物語性もキャラクターも薄く浅いアニメ』として批判する。

 しかし京極監督と花田さんは物語性の軛からラブライブ!を解き放った。漫画や小説では表現できないアニメならではの特徴を最大限利用してアイドルを表現したのです。

 その結果、増田には受け入れがたい作品となったようですが、私のような人間・・・つまりリアルなアイドルにもアイドルアニメにも(それほど)ハマれなかった人間の心を掴んだのです。

 それはリアルさよりアニメの表現を重視した構成、物語で表現する漫画や小説ではできない表現。それによってあたかもアイドルの偶像部分のみを抽出するように輝くことができたのです。

ドラマだけでなく『アニメ表現』そのものを鑑賞する


 もちろん、アイマスよりラブライブ!が上と言いたいわけじゃないのですよ。私はアニメならではの表現で実現できたアイドル像に感動したのです。リアルな物語性の作品はそれはそれで良いものです。

 じゃあ『映像だけ見て萌えているのか?』と思うのは誤解です。省略されているとはいえ引きつける構成・演出・楽曲すべてが一体となって表現されているところに感動があるのです。(補足3参照)

 京極監督は初めから劇場版を狙ってたわけではないだろうけど方向性はTV1期から存在する事は明らかです。それは漫画や小説では表現できないアニメならではの作品する方向性。

 TV版で慣れた視聴者に対して劇場版で一気に離陸した。劇場版では私だって最初は正直うろたえましたよ
映画 ラブライブ!The School Idol Movie 感想:うれしい裏切り!ハラハラドキドキ感動の大団円! - 1回目の感想

 でもやっぱり心を打つものがあった。そして2回目でようやく理解でき3回目で猛烈に感動したのです。話の筋だけで楽しませる作品じゃないからこそ何度も見たくなるし『体験』したくなる作品だったのです。
劇場版 ラブライブ! 2度目の感想:やっと理解できた ミュージカルアニメとしての凄さ - 2回目の感想

 だから楽曲も単体で評価するのは十分ではない。アニメ本編あるからこそキャラクターと合わせて最大限に光り輝く作品なのですから。(補足5参照)

自分の価値観は絶対ではない


 それを理解しない増田は絶賛派を以下のように認識しているようです。

ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』なので、失敗作である現実から目をそらして『盲目的に賛美すること』しかできない人間 (かぎ括弧内引用/ 他筆者補足)

 まあひどい言われ方ですね(笑)

『海外ドラマにのっぺりとした無個性の二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い』

 ため息がでますね・・・私がどうして感動したのかはこのブログで5本も長文投稿をしたのでここで繰り返しません。でも読んだとしても理解はしてもらえないでしょう。

 最初に戻って恐縮なのですが結局は好みの問題なのです。1stPVも良い出来ですよ?でも劇場版だって本当に多くの人が感動の涙を流したのです。

 増田の言うように駄作という現実から目をそらして感動したフリをしているのでしょうか?さすがに増田も自分の論理に無理があると薄々気づいているはずです。

 多くの人の感動させた作品であるという事実。それを受け入れられないとすれば『現実から目をそらしているのは増田の方である』というしかないでしょう。

君、原理主義に陥る事なかれ


 自分の価値観を大切にするのは良いと思います。でもその価値観を唯一絶対のものとする事は『原理主義』ではありませんか?増田の論は批評を超えて否定となっているように思います。

 『アニメ化以前の作品が好きだ。劇場版はまったく理解できない』それはそれで結構じゃないですか。しかし現実にこれほど絶賛している人がいる以上『自分には理解できないが別の価値観があるようだ』と受け入れるべきです。

 正直な話、私も増田の言っている事の多くは理解できません。だから『なぜこの人は本作の良さを理解できないのだろう・・・かわいそうに』となるのです。

 増田は自分の好きなものをポジティブに論じるべきでしょう。②の方はいくらかポジティブさを感じたし同意できる所も多いです。(あそこまで合っててなぜ結論が違うのか・・・補足7参照)

 私にとっても『駄作・理解不可能』な作品が世間で絶賛されている事が多くあります。その度に自分の認識不足を自覚し考えを改めます。

 増田も本来は同じだと思います。しかし今回は不幸にもメディアミックス作品と言う事で感情的行き違いがあるように思います。初期派はおそらく強い矜持を持っているのでしょう。でもそれが原理主義に陥らないで欲しいのです。

 『アニメ版の良さは理解できないけど初期作品はこんなに素晴らしい!』と言ってくれればアニメ版以降のファンも目を向けてくれるかもれません。一つがダメだから全部潰れてしまえ!では悲しいではありませんか。

 私はラブライブ!とμ'sがいつまでも輝いていて欲しい。だからファン同士の対立は否定ではなく肯定で終わらせて欲しいと思うのです。

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以下本文に入りきらない補足説明です(順不同)

*補足1*
『2013年からラブライブ!という作品が始まっており、その時点でメディアミックス・プロジェクトから分離され独立していることが前提であるかのような書き方に嫌悪感を覚える。』
上記については確かに配慮が足りなかったですね。誤解のないように訂正したいと思います。とはいえメディアミックスなのだから、すべての作品がμ'sが出演する創作作品と考えるのが自然だと思う。それは原案者への冒涜になならないはずです。

*補足2*
 2期のパクリ批判については当該海外ドラマ未見のため言及できません。しかしパクリである事と『つまらない』かどうかは関係がないので、その辺をあえて混同するのは論理として如何なものかと思っています。
 
*補足3*
 ちなみにこれは私特有の事情ですが花田十輝氏の脚本/構成作品がかなり好みです。花田ファンと言っても良いかもしれません。もちろん花田作品だから妄信的に支持するわけでなく花田氏らしい展開のさせ方が好みであると言う事です。ただ劇場版は花田色よりも京極色の方が強く出ている気がしなくもないですが。

*補足4*
『また、自分でストーリーの物語性や現実性と辻褄にこだわってアニメラブライブ!を見ることを批判的に捉えておきながら、その作品のストーリー構成を秀逸と考えた根拠も少々謎である。』
これは視聴者が突飛な演出に『付いて来られるように』上手に引きつける、その構成が秀逸だという意味です。特異な演出やアイドルアニメ自体に抵抗のある視聴者にもちゃんと階段を登らせてあげる仕掛けが見事であると思うのです。

*補足5*

 自分が楽曲として一番好きなのは『START:DASH!』だけれど『僕たちはひとつの光』のように号泣したりはしない。『Hello,星を数えて』や『Future style』のように猛烈リピートしたりはしない。楽曲やPV単体での評価と違うのはこういう意味です。

*補足6*
「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味
ひどい皮肉ですね(笑)むしろ私は『今が最高』の本来の意味『時を巻き戻してみるかい?no no no 今が最高!』(過去には戻らないの意)を、増田は『過去=初期作品』と捉えて『初期作品ではなく劇場版が最高!』と言われて怒っているのかと思いました。
※僕たちはひとつの光(作詞:畑亜貴)より

*補足7*
『ラブライブ!のPVは内容的にアニメキャラというよりアイドルPVの二次元化であり』- ②より引用
私も近い考えですが、私は架空アイドルの『コミック化』『ノベル化』『アニメ化』『ゲーム化』『ライブ化』であると思います。結論が違うのはやはり増田が原案重視だからではないでしょうか。

=======以上です。つかれたー!書くのに10日かかった・・・

『ラブライブ!論争』一連の流れ


一連の公開討論は次の順序になります。

●最初の増田氏の批判ブログ(はてな匿名ダイアリー)
劇場版ラブライブ!批判考察①
劇場版ラブライブ!批判考察②
劇場版ラブライブ!批判考察③

●上記にブックマークコメントで私が批判的コメントすると、増田氏はこのブログのラブライブ!絶賛記事を読んでくれました。
『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか?【私の記事】

●上記の記事を読んだ上での増田氏の反論【増田の記事】
アニメ『ラブライブ!』はみんなから何を奪ったのか①
アニメ『ラブライブ!』はみんなから何を奪ったのか②
増田氏からの追伸

●上記の記事への私の反論(この記事です)【私の記事】
ラブライブ!批判への回答:批判派の負のエネルギーを消し去りたい!

●増田氏からこの記事に対する再反論【増田の記事】
絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①
絶賛派の負のエネルギーを和らげたい②
絶賛派の負のエネルギーを和らげたい③

●上記の再反論への私の回答を書きました【私の記事】
絶賛派の負のエネルギーを和らげたい への回答です 
上記記事が未完(①を見落としていた)なので一時中断

●増田の生存報告【増田の記事】
生存報告

●①の記事を見落としていたので補足の回答【私の記事】
絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①への回答(補足・雑感)

2016/7/31現在


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