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『機動戦士ガンダム THE ORIGIN VI 6誕生 赤い彗星』感想:このまま1stを描いて欲しい渾身の完結編!

機動戦士ガンダム THE ORIGIN VI誕生 赤い彗星』を映画館で鑑賞しました。前半の会戦シーンは本当に凄かったですね。これをスクリーンで見られただけで満足なレベル。

 見る前は一律1,800円は高いなぁと思ったけど・・・あのシーンを見せられたら納得するしかないです(笑)いい体験ができました。思わず2回見に行ってしまいましたね。
機動戦士ガンダムTHE ORIGIN
予告・冒頭15分映像より画像引用
当ブログの画像引用について
(C)SOTSU・SUNRISE

 後半はやや地味な構成とは言え、ファーストガンダムの『文字通りの前日譚』として気持ちの良い締めくくり。

 唯一残念なのは、続編の発表がなかったことかな・・・・サブライズあるかな?って期待してたんだけどなぁ。ランバラルがオリジン版で活躍するシーンを見たかった!

ネタバレのあるレビューですのでご注意ください。

溜めに溜めた、迫力の奇襲!


 それにしてもドズル艦隊 決死の転回からの奇襲。あれはすごい迫力でしたね。でも、あまりに近すぎる接敵にビックリ。あそこまで近づけるものかな?って思ってしまった。
ちょっと戯画的に描かれるドズルだが
大スクリーンでの迫力は素晴らしい
(C)SOTSU・SUNRISE

 『連邦も撃てよ!』と思ったけど、艦速を考えると交錯する時間はほんの一瞬ですよね。(映画ではゆっくりに見えるけど)さすがに連邦も即応は無理だったのかな。
不運も重なり一方的な攻撃を受ける連邦。
ティアンム艦隊への雪辱をレビル艦隊にぶつける開放感!
(C)SOTSU・SUNRISE

 不明艦発見から対応まで運悪く時間が空いてしまって・・・レビル将軍もさ、もう少し早くブリッジに来てくれればね(笑)ミノフスキー粒子を使った作戦に慣れていないってことなんでしょうが。

大スクリーンで見ごたえのある構図


 シャアの攻撃タイミングも絶妙でしたね。シャアの攻撃がドズル艦隊への対応を遅らせることになるとは。まあそこまで読んでいたわけじゃなさそうですが、運も持ってますよね。
5話ラストと時間軸が噛み合うシャアの登場シーン。
その意味合いが理解できるうまい構成でした。
(C)SOTSU・SUNRISE

 そしてザクII達の一方的で無慈悲な攻撃の連続。このシーンは艦艇もモビルスーツも広角的な構図が映画館のスクリーンに映えました。

 アップシーンは威圧感があるし、引きのシーンは空間を感じます。できるだけデカイ画面で見たいシーンですね。
ムサイの巨体が動く迫力は大スクリーンならではの体験
(C)SOTSU・SUNRISE

 会戦シーンはジェットコースターにでも乗っているような迫力で、文字通り『手に汗握る』感覚になるほどでした。これは素晴らしかったです。

屈辱的な和平なら戦争継続か・・・


  後半は一転、政治的な展開。ここは安彦総監督の思いが込められている気がしましたね。人々の思惑が複雑に絡み合って和平の芽が摘まれていく感じ。

 人類はまだ十分に破局を経験していないというヤシマ氏の言葉が重いですね。一度始まった戦争をやめるのがどんなに困難なことか。人は合理性だけで決断できるわけじゃないですね。
意外とミライさんのシーンも多くてうれしい。
物語の起点、サイド7へ引き寄せられる登場人物たち。
(C)SOTSU・SUNRISE

 和平っていうのはあくまで受け入れ可能な条件であって、屈辱的な和平なら戦争継続を選びたい。継続の選択肢がある限りは・・・って悲しいかな、サンクコストに囚われがちな人間の本能ですかね。

レビル脱出の指示したのは誰か?


 でも1作目で死んだ次男のサスロ・ザビが存命だったらどうなってたでしょうね。優秀で人望の厚いサスロならギレンの横暴にストップをかけられただろうか・・・まあ結局いつか暗殺されちゃいそうですが。

 それにしてもキリシアはすごいよね。デギンを尊重するフリをしつつ混乱を広げる感じ。本心がイマイチ読めないけど、やっぱり主導権を握るために敢えて戦争を求めたってことかな?
デギンの信頼を得るキリシア
逆襲のシャアのイメージのせいか真の黒幕という印象
(C)SOTSU・SUNRISE

 ちなみにレビル将軍を解放させたのはキリシアだとして、デギンは知っていたのだろうか?そこがちょっと疑問でしたね。

 デギンの怒りって『解放してやったのに戦争継続を訴えやがって!』って怒りとも取れるし『捕虜として休戦交渉に利用しようと思ってたのに逃げやがって!』とも取れるし。どうなんでしょうね?

『ジオンに兵なし』は最高のアジテーション


 オリジンにおけるレビル将軍って最強のアジテーター(扇動者)ってイメージでした。ナチスとの講和に反対したイギリスのチャーチル首相を強く連想しますね。

 ただ、レビル将軍も善人というより『負けたくない』という気持ちが『ジオンに兵なし』を叫ばせた気がするんですよね。あそこで和平になったらレビル将軍の名誉は挽回の余地がないですもんね。
『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』
の上映と重なったのは面白い偶然。(見てないけど)
(C)SOTSU・SUNRISE

 ファーストでは『実際にジオンを見た事実なのかな?』という印象でしたが、今は和平論を封じるためのアジテーションだよなぁと感じました。

 将軍まで上り詰めるだけあって老獪な政治家ですよね。でもこれも『人間の性(サガ)』を描いている気がするんですよね。

 デギンが演説を見て単純に激昂するのも、デギンの人間性を美化しすぎない感じでいいな。安彦総監督の意向かはわからないけど、この辺の描きかたはすごく好きですね。

演説をエンディング曲のように使うカッコよさ!


 それにしても『ジオンに兵なし』の演説で終わるラスト!カッコよかったですね。(思いっきり扇動されてますが(笑))

 前半にクライマックスを持ってきた関係で、後半はどうしても地味な展開になりましたが、この構成でスカッとした締めになりました。
実際のエンディング曲は山崎まさよしが歌う『破線の涙』
機動戦士ガンダム THE ORIGIN 予告3

 演説がある意味でエンディング曲になってましたね(笑)演説をバックに登場人物が紹介される演出。あれはなかなか味わいありました。

 そして最後に『ジオンに兵なし』と戦争継続を呼びかけるシーンでスパッとエンディングロールへ完結でありスタートとなる、この作品らしい気持ちの良い終わりかただったと思います。

キャラクターデザインは良かった


 ファーストと違って、今風なキャラのアレンジは賛否両論ですかね?自分も最初は違和感ありましたが今は肯定的ですね。ファーストのイメージを崩さない範囲でうまく現代化しているなぁと感じました。
一番デフォルメされたのがガルマかな?
でもこのガルマで続きをを見てみたい・・・。
(C)SOTSU・SUNRISE

 キャラなんかは、やっぱりファーストのままというわけにもいかないでしょ・・・と思うんですよね。

 デザインだけじゃなくてキャラの性格付けもちょっとオーバーな感じになっていますが、方向性としてズレていないので違和感なかったのかな。強調してるって感じで。

THE ORIGIN の明るさは『戦前』の明るさか


 地味だったファーストに比べて、明るさや能天気さが強調される感じがしますが、それって『戦前』のイメージとしてありかなと思います。やっぱり戦争前のエピソードだから平和の空気を感じるんですよね。
緒戦の頃は連邦もエリート揃いの落ち着いた雰囲気。
ファースト時代とは違いを感じる。
(C)SOTSU・SUNRISE

 戦前といえば、連邦の職業軍人の姿も印象的でしたね。ファーストの疲弊して混乱した姿とは違う、落ち着いて余裕のある指揮。官僚的な面はあるとは言え、頼りになる感じでした。 

『君は生き延びることができるか』の意味


 エンディング後のエピローグ。新品のホワイトベースとまだ元気なパオロ艦長が新鮮ですね(笑)(エンディング中に帰ってしまった人が何人かいた・・・)
結局ガンダムって何だかわからないアムロ・・・
無力な一少年である彼が開花する直前までを描く。
(C)SOTSU・SUNRISE

 ラストナレーションの『君は生き延びることができるか』ってファーストの予告編で使われた常套句だそうですね。まったく覚えてなかったよ。

 覚えてたら感慨深かったろうなぁ。まさに壮大な予告編というか・・・オリジンで聞くとさらに深みの増すセリフですよね。

大河に注ぐ源流の物語


 THE ORIGIN への批判として、世界観が矮小化しているという意見をみたのですが、自分は矮小というより源流を描いたという気がするんですよね。

 1年戦争で始まるガンダムを大河に例えるなら、その源流である幾筋もの小川が合流していく物語。それがTHE ORIGINかなって。
小川で遊ぶフラウ・ボゥ
彼女はなぜか1stより大人びて見えた。
サイド7の残りわずかな平和を象徴するシーン。
(C)SOTSU・SUNRISE

 シャア、セイラ、ラル、ガルマ、キリシア、アムロ、カイ・・・それぞれの人生に焦点を当てたエピソードがファーストガンダムの時間軸で交錯し飲み込まれていく

 確かに矮小なエピソードなんだけど大きな歴史の細部を見るような、ガンダムシリーズの総仕上げとして見るからこその味わいを感じました。


最後に・・・シャアとランバラル。


 足掛け4年・・・途中は映画館じゃなくてもよかったかな?と思いつつも(笑)最後まで楽しめる作品でした。

 今までは1作目が一番好きでしたが、6作目が抜いた感じですかね。単独作品としては1ですが、まあルウム編5・6はまとめて1作という感じですかね。

 でもシャアのキザっぷりがすごかったですね(笑)ファルメルの部下たちも引いていたような。若さゆえの・・・がシャアの名台詞ですが、ある意味中二病っぽいかも。声優の池田秀一さんの重厚な声を楽しめて良かったです。

 それにしても最後にランバ・ラルの出演がなかったのは残念!(ラストに一瞬でた?)さすがにファーストを焼き直すのは色々問題はあるんでしょうが・・・劇場版の『新3部作』としてファーストガンダムを現代に再現して欲しかったなぁ!

 安彦総監督はじめスタッフの皆さんお疲れ様でした。ありがとう。そしていつか続編も期待しています!

機動戦士ガンダム THE ORIGIN 公式サイト
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引用の出所の明示に©を使うことに問題がありますか?という質問について

 下記の記事のコメントで質問をいただきました。画像引用した場合、出所の明示として著作権者を表記しますが、そこに(C)©コピーライトマークを表記するのに問題はないか?という質問です。

『アニメブログの画像引用で違法と言われない著作権法のポイント』

 長くなってしまったので回答を独立記事とさせていただきました。この記事は上記の内容を前提としていますので、未読の方は合わせてお読みください。

コメントでの質問内容
現在は無方式主義なので、(c)表記はあろうがなかろうが意味はあまりないという前提ではありますが、質問です。
今の日本においては(c)表記は著作権者が自分の著作物だと表明するために付けられているように思うのですが、引用の際に引用者が勝手に(c)表記を入れてしまうと本文中にもあるように正式許諾を受けたように誤解を生むような気がします。
もともとグレーゾーンな画像の引用に別の罪(著作者名詐称罪?)が加わったりしないのでしょうか?

 まず前提として、私は引用の表示として©(C)コピーライトマークの有無はどちらでも良いという立場です。

 作品名でなく権利者名を表示する場合、アニメの場合は権利者が複雑なため、権利者自ら表示している(C)〜を記載するのが簡便であるとしています。この場合の(C)は著作権者を示すCopyrightの省略形としての意味です。

 その上で、ご心配の点についてご説明します。少し長いので下記に要点をまとめました。詳しい説明は本文をごらんください。

1:誤解が原因で『著作者名詐称罪』に問われるか?
  回答:ありえないと考えます。
2:(C)表記には正式許諾を受けたという意味があるか
  回答:(C)表示に『許諾』の意味を見出すのは難しいと考えます。
3ー1:(C)表記は誤解を誘発するのではないか?
  回答:逆に誤解を認める事になる恐れがあります。
3ー2:権利者が誤解した場合に問題はあるか?
  回答:適法な引用なら問題はないと考えます。
3ー3:読者が誤解した場合に問題はあるか?
  回答:3ー2と同様。
4:結論、それでも心配な場合は。

1:誤解が原因で『著作者名詐称罪』に問われるか?


 ありえないと考えます。

 『著作者名詐称罪』(著121条)は、権利者以外の人の名前を記載することが要件になります。つまり別人が著作権者であると詐称する罪です。ですから正しい権利者名を表示している以上は罪になりえません。

そして『正式許諾を受けたという誤解』をもって著作者名詐称罪となる可能性はありえないと考えます。『許諾』が要件になる事は条文上・判例上ともに確認できないからです。

2:(C)表記には正式許諾を受けたという意味があるか?


(C)表示に『許諾』の意味を見出すのは難しいと考えます。

 ご指摘の通り、コピーライトマーク(C)は著作権者が誰であるかを表明するために記載されています。これは慣例であると言えます。

 しかし、あくまで『著作権者が誰か』を表示しているのであって『許諾の表示』をしていると解釈するのは難しいと考えます。

 なぜならテレビや出版物で(C)の記載があるものが、すべて『引用』ではなく『許諾』であると言えるでしょうか。逆に(C)の記載のないものは『許諾されていない』と言えるでしょうか?

 実務上は『許諾』とは許諾契約ですので、契約内容によって表記の有無や方法は自由に決まります。有名なところでは『いらすとや』の画像は『ノンクレジットでの利用』が可能だとされています。またクレジット記載の場合も(C)の記入は指定されていません。あれも一種の許諾契約です。

 つまり(C)が許諾を受けたかどうかを示す目印にはなりえません。ですから、(C
)表示に『許諾』の意味を見出すのは難しいと考えます。

3ー1:(C)は誤解を誘発するのではないか?


 あえて記載を避ける事は、逆に誤解を広める事になる恐れがあると考えます。

 誤解の原因は、著作権や引用についての理解不足が原因だと感じています。著作権の誤解が広まってほしくないという考えで記事を書きました。(C)に限らず画像引用は誤解が多く、公開当時は実用的でまとまった記事が少なかったのです。

 その際に根拠のない論を広めたくはないと考えていました。(C)があってもなくても良い理由は根拠があります。しかし(C)に『許諾』の意味があるとする法的根拠はありません

 『引用の場合は(C)を記載しないでください』というのは、むしろ誤解を誘発することになると考えました。それは(C)に特別な意味を与える事になり誤解を助長すると考えたからです。

 つぎに『誤解』をするのが誰なのか?という点について説明します。以下(3-2,3)は一種の思考実験的なものです。興味がなければ4へ飛ばしてください。


3ー2:権利者が誤解した場合に問題はあるか?


 権利者が『このブログ、許諾もしてないのに(C)と表示している。けしからん!』と誤解した場合を考えます。

 権利者が訴えるとすれば『引用として著作権法上は合法だが(C)をつける事で損害があった』という民法上の損害賠償請求になるかと思います。これは実害という意味でも認められるのは難しいのではないでしょうか。

 ご質問者は画像の引用が『もともとグレーゾーン』とお考えですが、要件を満たした引用は明らかに合法です。グレーゾーンとはいえません。なぜなら著作権法におけるグレーゾーンとは権利者から訴えがあれば負ける状態(黙認)であって、正しい引用は負ける事がないからです。

 ですから適法である以上、それ以外の損害を証明しなければなりません。適法な引用で(C)がある事で受ける損害を実証できるでしょうか。

 もし、ブログで引用要件を満たさない、もちろん許諾も得ていない転載に(C)をつけていたなら、それはただの無断転載で著作権侵害です。しかし、そこに(C)の有無は全く関係ありません

 以上から権利者が(C)を許諾だと誤解したとして特に問題はないと考えます。

3ー3:読者が誤解した場合に問題はあるか?


 読者が誤解した場合困るのは、引用要件を満たさないサイトなのに(C)があるから許諾があると誤解される場合です。

 しかし前述の通り、現実には(C)の有無が許諾の目印にはなりません。法律や判例で(C)が許諾の印だと認定される見込みもありません。

 だとするならば、多くの人に著作権法上の引用について正しい知識をもってもらいたいと考えます。(C)マークに許諾の意味があるかのように黙認する事はむしろ逆効果でないでしょうか。

 もちろん適法な引用であれば、誰の権利も害していませんので、読者が『許諾』と誤解したとして実害はありません。しかし、誤解を解き多くの人が正しい認識を持つ事は、結果として権利者の擁護になると考えます。

4:結論、それでも心配な場合は。


 以上のように(C)をつける事で責任を問われる事はないと考えています。もちろん、つけるつけないは個人の責任に基づいて考える事です。

 ただ、心配な場合は『引用』の文言を記載しておけば万全ではないでしょうか?これなら『許諾』と誤解される心配はありません。

 肝心なのは著作権者が誰かがわかる事ですので、Copyrightでも著作権者でも、〜作品(作者〜)より引用、でもどれでも同じです。(C)マークを強制するつもりはなく、単に簡便な方法として紹介しています。

以上です。
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