実はファンタジー作品って苦手で・・・ちょっと心配だったのですが、意外にもすごく見やすかったです。テーマは普遍的なんですよね。敢えてファンタジーを舞台にしたという事で。
『愛する事が悲しみを生むなら、誰も愛さないほうがいいのか?』という問いに、丁寧に答えたような作品だった気がします。
さよならの朝に約束の花をかざろう予告編/PV映像)より (当ブログの画像引用について) ©PROJECT MAQUIA |
舞台は全く違いますが、2015年の『心が叫びたがってるんだ』とメッセージの共通性を感じましたね。描いているものは『ここさけ』が恋なら『さよ朝』は愛ですけど。
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どちらも『傷つくことを避けたい』という現代の空気に対して、岡田麿里さんからの強いメッセージが込められていた気がします。
※後半にネタバレのあるレビューです(スキップできます)
『愛』をどうやって表現するか
この映画って、作品自体が『愛』を体現しているみたいなんですよね。約2時間かけて、少しづつ、少しづつ、丹念に積み重ねていくようなところが。
恋が『一瞬のきらめき』なら、愛は『少しずつの積み重ね』って事ですかね。
『ヒビオル』(日々織る)と呼ばれる布が、この作品を通したキーワードですが、まさに一本一本紡いでいくような作品。
イオルフの民は布に意味を織り込む伝統を持つ 数百年を老いずに生きる希少な民族 ©PROJECT MAQUIA |
スピード感のある昨今の作品からすると、中盤なんかはテンポがゆっくりに感じますけどね。最後に『実感』させてくれるんですよね。
実感というか体感かな?これが『愛』・・・って、こうやって時間をかけてでしか表現できない概念。恋と違って『ときめき』とかでは表現できないものですね。
それを純粋に表現するためのファンタジーの舞台だった気がします。
作品の核心を大切にするために
ファンタジーとしての面白さとか、戦争の不条理さとか・・・それも描かれているんですよ。もちろん。ただ、部分的にみればもっと膨らませる事はできた気はしますよね。
でも、そこが強くなりすぎるとこの作品の本質が見えなくなってしまう。だから敢えて抑えた気がするんですよね。
ファンタジーとしての世界は美しい美術で表現されている 特に都市の描き方は特徴的で面白い ©PROJECT MAQUIA |
この作品の核心を大切にしたい。それなら自分で責任を取るべきだ。そう思ったから、岡田麿里さんは自ら初監督を希望したのかも・・・そう感じました。
※次章よりネタバレが含まれます。(ネタバレの章を飛ばして最終章へリンク)
あいまいになる『ヒビオル』という言葉
ところで『ヒビオル』の意味、『日々を織る』って書きましたけど、勘が悪いので鑑賞後に気がついたんですよね(笑)(公式ページに書いてありました)
もちろん劇中でも説明あるんだけど、なぜか途中で意味が曖昧になったんです。というのも、途中から布だけじゃない意味に聞こえるんですよね。『私のヒビオルが・・・』みたいな。
主人公マキアとエリアル 『ヒビオル』の意味の広がりと共に物語も展開していく ©PROJECT MAQUIA |
単に『記録された布』っていう意味だけじゃなく『記憶』とか『思い出』という感じですかね。とにかく『大切なもの』というニュアンスを感じました。
なんかこの『ヒビオル』という言葉の曖昧さというか、多くの意味を織り込んだ感じが、この作品のキーワードとしてすごい効いているんですよね。
なぜレイリアは『忘れて!』と叫んだのか
この作品で一番印象に残ったのはレイリアですね・・・マキアと対照的に描かれるイオルフ族一の美少女。
愛し合っていたレイリアとクリム 過酷な運命は彼らから何もかも奪ってしまう 鑑賞後に見返すとつらいシーン ©PROJECT MAQUIA |
特に彼女のラストシーンは『えっ?』って感じで・・・一瞬ポカーンでした。どうしてようやく再会できた娘に『私のことは忘れて!』と叫んだのか?
でも、後になってレイリアのセリフを思い返すと彼女の気持ちがわかった気がします。それは『私のヒビオルにあなたはいない・・・』(みたいなセリフ)
記憶を紡いだマキア、紡げなかったレイリア
愛する人を失い、故郷を破壊され、失意のうちに宿した娘。それすら会えずに無為に過ごす長い年月。
たとえ血のつながりがあっても日々の記憶を重ねられなかったレイリア。
無為に時間を浪費させられたレイリア 失った上にさらに失い続ける事を強いられる過酷さ ©PROJECT MAQUIA |
それに対して、マキアとエリアルには、たとえ血の繋がりがなくても愛があるんですよね。それは日々紡がれた記憶によって紡がれた親子の愛・・・まさにヒビオル。
それでもレイリアは、娘の助命を懇願し、最後まで再会を熱望していたじゃないですか。あの思いは本当だと思う。
一見すると支離滅裂にも見えるレイリアの行動。自由人になっちゃったの?なんて、最初は混乱してしまいました。
私のヒビオルには娘がいない・・・
でも、レイリアは娘と再会した『あの一瞬』に悟ったんだと思う。
それは、娘に『誰?』と言われた時かな・・・でも、本当はずっと前から分かっていたのかもしれないけどね。
私のヒビオルには娘がいない・・・娘のビヒオルには自分がいない。
このような何気ない日々の積み重ねが もはや取り戻せないほど大きいものになっていると感じ レイリアは運命を受け入れたのかもしれない ©PROJECT MAQUIA |
一度紡いでしまったヒビオルは戻せない。そこに『ほつれ』があっても完全には直せない。紡げなかった日々を取り戻すことはできないから。
レイリアの優しさが言わせたセリフ
だからあのセリフは『優しさ』だと思う。自分勝手とは正反対の優しさ。
レイリアは『母』であることを諦め、娘の人生の一部になることを諦めたんだと思う。それが成長してしまった娘のため。それが娘の幸せだと思ったから。
だからレイリアは娘に対して、自分の存在を『布のほつれ』程度のものだと言ったんじゃないかな。だから忘れていいんだよ・・・と。
本当は娘に駆け寄って抱きしめたかったのかもしれない。改めて日々を紡ぎ始めることもできたかもしれない。
再び飛び立つには運命を受け入れるしかなかった 飛び立つ事は不条理極まる彼女にとって唯一の光だったのかもしれない ©PROJECT MAQUIA |
でも今、一瞬の風のように消えることが、そして長い人生のなかで『気にしない』ほどの小さな『ホツレ』にすることが、互いのためになると考えた・・・。
これが良かったのかどうかは、正直わからないですけどね。
でも、何もかも失ってしまったレイリアが、今一度、自分の意思で飛び立つには・・・・それしかなかったのかもしれない。
自分にはレイリアの行動が、そんな風に感じました。この不条理さ・・・レイリアの行動はこの作品にすごく厚みを与えるものだと思います。
無数の記憶の断片が飛び散るようなラスト
そして本当のラストシーン。すごく印象的でしたよね。
象徴的なタンポポの綿毛。そして過剰なくらいの回想シーン!
いきなり『孫』がでてきて時間を超えた感じと、タンポポの綿毛っていう世代をつなぐ象徴が交差する感じがすごく好きでした。
あとで見るとタンポポのシーンがたくさんある 象徴としての綿毛だと感じた ©PROJECT MAQUIA |
繋がっていく、繋がっていく・・・日々の記憶が繋がっていく。ラストシーンを見ながらそう感じました。
無数のタンポポの種が舞う光景と、無数に繰り返される記憶の断片。これまで紡いできた糸が、涙とともにパラパラと解けるように感じました。
正直、泣きながらも笑っちゃうくらいの過剰さでしたね。
思うにあのシーンの過剰さって敢えてやってる気がするんですよね。(あのシーン見て『ニューシネマパラダイス』を思い出しちゃいました)
本編では使われなかったシーンとかも沢山出てくるじゃないですか。描かれなかったけど、いろんな思い出がいっぱい、いっぱい、いっぱい・・・あるんだなぁって想像させる。
この繰り返しで、記憶の断片の見えない部分まで、一本一本の糸まで感じるような人生の密度を感じる事ができた気がします。
そして、つまりこれが『愛』だよなぁ・・・って思うんですよね。
この時代に『愛』を語る意味
自分は男性だけど、男でも母性的な感覚を持ってる人は多いと思うんですよね。自分も割とそうだし、逆もあると思う。だから別に『女性なら共感できる作品』かどうかはわからないです。
でもこの作品ってよく考えたら『親子愛』に絞ったテーマではない気がするんですよね。もっと広い意味での『愛』というか。
初見の印象では『親子愛』が強かったが よく考えてみると親子に限らない愛を語っている気がした ©PROJECT MAQUIA |
見終わって一番に思ったのは『時代性を感じるなぁ・・・』って事でした。
様々な価値観が変化していく中で、『愛』についても古い価値観が崩れてしまっている。そして変化する時には必ず歪みが生じるわけです。
そんな中で苦しんだり、流されたり、諦めてしまう人たちがたくさんいるわけだけど、それでも『愛の本質』っていうのは変わらないわけですよね。
だからこそ、ファンタジーという現実離れした舞台で描くことで、愛の本質的な部分を伝えようとする試みだった気がします。
それでも『説教くさく』ならない魅力
別に岡田麿里さんが、明確な意図を持って活動しているとは思わないけど、やっぱり無意識だとしても『今語るべきものを書いている』という感じは強く感じました。
ともすると説教くさくなりがちなテーマを、ギリギリのところで回避してるところがすごいなぁと思うんですよね。
マキアはエリアルを生かしたと同時にエリアルに生かされた。 マリアはすでにエリアルに守ってもらったと言える。 人を愛するという事は『生きる理由』になる。 ©PROJECT MAQUIA |
単に『親子っていいでしょ?子供欲しくなったででしょ?』とか、まして『子供がいなけりゃ養子をとりましょう』なんて短絡的なメッセージを感じたら、すぐ興ざめじゃないですか(笑)
自分には子供がいないのでそういうテーマには敏感ですが、この作品には嫌な感じが全然しませんでした。押し付けがましさがないんだなぁ。
それはやっぱり『愛』の本質的な部分に集中しているからじゃないかな?と思うんですよね。
『あの花』『ここさけ』に感動しなかった人こそ。
自分は岡田麿里さんの作品って、『あの花』『ここさけ』ぐらいで詳しいわけじゃないです。名作の『とらドラ!』『true tears』なんかもまだ未見だし。(『花咲くいろは』はちょと合わなくて脱落したけど)
ただ、『ここさけ』は超絶ファンと言いたいくらいに好きです。『さよ朝』も相当泣きましたけどね(笑)『ここさけ』より好きか?と問われれば、正直『ここさけ』の方が好きです。
でも、好きとか嫌いを超えた何かが伝わった作品でしたね。初監督作品だから・・・とか技術的なことで評価するのは憚られるような不思議な感じ。それは監督の訴えかけるような『何か』を感じた作品だからかな。
そんな時、ぬーぼー(@yasusuke0325)さんのツイートを見てビックリしました!
あの花、ここさけ、ではまったく感動しなかった私ですが、さよ朝は号泣しました。— ぬーぼー (@yasusuke0325) 2018年2月24日
え、なんと!そっか・・・もしや、岡田麿里さんは、同じ人が感動する作品を繰り返し作るのではなく、作品ごとに『感動させる層』を書き分けてるんじゃないか?
共感するポイントをずらしながら作れるから、ピンポイントで強烈に号泣する作品になる。『ここさけ』と全く同じだ・・・!
『ここさけ』も駄作という人は少ないんだけど、一部の『強烈なファン』と『まあ普通』という感じにはっきりと分かれる作品でした。
自分の勘違いかもしれないけど・・・そんな芸当が出来るとすると・・・ホント岡田麿里さんという人の才能に恐怖を感じる作品でした(笑)
パンフレットで堀川社長が書いてましたが、岡田さんは「創作のポケットがパンパンに膨れてて底知れない」そうです。いろんな立場、バックボーンを持った人に刺さる物語を書き分けられるということでしょうね。— けいどら△Aqoursファンミ千葉2日目夜現地組 (@kei_dora) 2018年3月3日
感想を書いてる時にけいどら(@kei_dora)さんから的確なツイートが。全くその通りです!どうやったらそんな風に書き分けられるのか想像もつかないですが・・・。
とにかく、今の時代に見る事ができて良かったと思う作品でした!
『さよならの朝に約束の花をかざろう』公式サイト
http://sayoasa.jp
オリジナルアニメ作品/115分
監督/脚本:岡田麿里/制作:P.A.WORKS
関連 映画 心が叫びたがってるんだ。 感想 :あの花にイマイチ感動できなかった人に勧めたい恋愛の名作 - アニメとスピーカーと‥
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